こんにゃくの原産地と日本への渡来
こんにゃくは、サトイモ科の多年生植物で、原産地はインドシナ半島といわれ、わが国への渡来説はまちまちで、根栽農耕文化の北方伝播とともに、サトイモ等と数千年前(縄文時代)に渡来との説もあり、記録上では、大和時代に医薬用として、朝鮮から伝えられたとされています。食用としては、種々の記録等から仏教との関係が深く仏教伝来の頃ともいわれています。
日本最古のこんにゃくの記録
日本ではじめての分類体百科事典として知られる倭名類聚抄(わみょうるいじゅうしょう)(承平年間931〜937年)にその名が現れております。
「蒟蒻文選蜀都賦注云、蒟蒻其根白、以灰汁煮則凝成。以苦酒俺食之。蜀人珍焉。」
蒟蒻、文選の蜀都賦の注に云う、其の根は白く、灰汁をもって煮れば、すなわち凝成す、苦酒をもってひたし、これを食す。蜀人これを珍とす。この詩をよんだ左思は中国の三世紀の人物なのでこのころ中国ではこんにゃくがつくられていたと思われます。しかし今日、中国では四川省、雲南省を中心に限られた地域でつくられているにすぎません。
※蜀都賦・・・(しょくとのふ)中国の西晋時代の詩人、左思(250〜305)の有名な詩。
※苦酒・・・酢のこと。
昔は上流階級の食品
鎌倉時代の高野山文書に仏さまの供物にしたという記録があり、室町時代になると、都の路上でこんにゃくを売る姿が見られるほどになり、精進料理にも使われはじめました。当時は一日二食だったために間食があったらしく、僧院では「糟鶏(そうけい)」といって薄いみそ煮にしたこんにゃくおでんのようなものを食べられたとされ、高級な食品だったようです。また寺院から武家や公家への歳暮用にも使われたといわれています。
こんにゃくが庶民の食品となったのは、江戸時代からのようです。